あの頃の嘉人

過去インタビューを振り返りながら、プロサッカー選手「大久保嘉人」の軌跡をたどる。(協力:週刊サッカーダイジェスト)

週刊サッカーダイジェスト(2003年8月26日号)前編

いま、あえて
「大久保嘉人」を知る(後編)

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今年5月に代表に初招集されて以来、大久保嘉人は日本でもっとも注目を集めるプレーヤーとなった。しかし言葉数が少ないだけに、いったいどのような男であるのかそれほど明らかにはされていない。だからこそ、いまあえて、大久保嘉人を知る必要がある。

前編

走りたくないがために勝ちつづけた高校時代

サッカーをはじめたのは小1のとき。きっかけは、お父さんと一緒に歩いていたときに、土手でサッカーをやってるのを見たんですよ。最初オレ、サッカーって知らなくて、お父さんにあれ、なにやってるのって聞いて。そしたらサッカーだよって教えてくれて。なんか面白そうだったんで、ちょっとやってみようかなっと。たまたま家の近くの先輩が、いっしょに行こうって誘ってくれたのもあったんで。地元の苅田サッカースポーツ少年団ってとこに入りました。

でもすぐに辞めたんですよ。ボールが飛ばないから、まったく面白くないなと(笑)。ちょうどそのころ一輪車がはやってて、そっちのほうがぜんぜん楽しかったし。でも周りの友達で、サッカーやってるヤツが多かったんで、それでまたやりはじめたんですけど。そのうちボールが飛ぶようになって楽しくなってからは、ホント、サッカーばっかりやってましたね。

中学から国見に行きました。福岡の実家を出て下宿生活です。国見に行こうと思ったのは、隣町のスポーツ少年団の人が国見にいたんですけど、それで来ないかって誘われて。オレはそんなに行こうって強い気持ちがあったわけじゃなかったし、別に国見に対して憧れがあったわけでもない。どっちでもいいって感じだったんですけど、親が行けって言ってきたんで。ある意味で強制っすね。

国見はやっぱり、みんなメッチャうまかったです。入った当初はやってけるかなって思いましたよ。一応2年のときからレギュラーになったんですけど、中学校のときはぜんぜんダメだったっす。足もそんなに速くなかったですし。周りはどんどん伸びていくけど、自分はそんなに伸びてないなって感じでしたから。

中学の時の成績は、全国のベスト8どまりでした。思い出に残って流のは準々決勝です。オレらのときは一番強いって言われてたんですけど、埼玉のチームにVゴールで負けちゃって。そのチームは、できたばっかりだったらしいんですが、そういったチームに負けたのがホント、悔しかったですね。

高校も国見に行ったんですけど、ご存知のとおり、国見の練習は半端なく厳しい。毎日が憂鬱でしたね(笑)。時間的には2時間半とか、そんなもんなんですけど、“走り”があるときは最悪です。“走り”は毎日あるわけじゃないんですが、あるとすればだいたい夕方の5時に始まるんですよ。国見町ってすごい田舎だから、5時になると音楽がかかるんですよ。夕焼け小焼けみたいなのが。だからそれがかかった瞬間に、みんな一気に憂鬱になる(笑)。『今日は走りかな、走りかな』って、もうドキドキものですね。

“走り”のメニューはいっぱいあるんですけど、たとえばグラウンド1周を何秒以内に走らなくちゃいけないっていうノルマがあって、それに間に合わなかったらタヌキ山行きです。タヌキ山っていうところがあるんですけど、そこまで走らなくちゃいけない。12キロですよ。だからプロに入ってからの練習の方が全然楽ですよ。いまそれだけ走れって言われたら、無理でしょうね。それを3年間やってたんですから、すごいっすよ。

でもおかげで力がついていったわけですから。とくに高1の新人戦くらいから、自分でも伸びてるなって感じるようになって。そのころはメチャメチャ調子よくて、点もたくさん決められるようになった。それから高2のときに、Jリーグのチームからオファーがあるぞ、みたいなことが周りからなんとなく漏れてきたんですよね。それがホントかどうかは分からなかったけど、そういうのを聞くと、やっぱりなんか自信がついてくるし、やってやろうかなっていう気持ちにもなってくる。モチベーションが高くなりましたね。

高3のときには、インターハイ、国体、選手権と3冠を達成できました。オレらの時代はそんなに走らなかったんですよ。それは勝ってたから。要は負けると走らされるんですよ。ほとんど負けなかったですね。練習試合でも公式戦でも。だから楽しかったですし、気持ちも楽でした。走らなくていいから。優勝したいっていう気持ちもあるけど、走りたくないから勝たなきゃ、みたいな(笑)。そういったプレッシャーの方が強かったのかもしれませんね。

高校時代はホント、サッカー漬けで、それ以外は考えられませんでした。もちろん遊べませんでしたし、勉強も当然できませんでした(笑)。得意な教科は体育ですから。でも成績は3くらいだったかな。態度が悪かったのかな(笑)。持てたかって?ぜんぜんですよ。全国で優勝したときは、ファンレターとかも来てましたけど、ホント、ちょっとだけですよ。

高校のときに一番印象に残ってるのは、やっぱり選手権ですね。優勝できたし、得点王にも慣れた。準々決勝のときは、熱が出てたんですけどハットトリックもできましたし。さすがにあのときは自分でもビビりましたけど。

後編に続く


前編

取材・文:原山裕平(本誌編集部)

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